52 七夕特集 糸魚川のお七夕(新潟県)

日本には各地でいろいろな七夕行事があります
七夕人形や紙衣(かみこ)などはとても姉様的要素があると感じます
雛祭りと同様、七夕も姉様と切りはなして考えることが出来ません
そこで七夕特集を組むことにしました

糸魚川根知の「お七夕」
新潟糸魚川市の山あいにある根知の集落では、江戸時代の名残が残る七夕飾りが行われます
7月7日〜8月7日までの一ヶ月間、道を横切るように電柱や木にわらづなを張り、人形などの飾りを下げます
七夕の飾りは「たなばたさま」、飾ることを「七夕さまを下げる」 と言うそうです
昔は子どもたちが家々をまわり「七夕さまの紙くれてくんない」と言って、きれいな包装紙などをもらって飾りを作ったとのこと
人形は「ヨメサン」「ムコサン」「コシモト(腰元)」「コモリ(子守り)」「ニカヅキ(荷担ぎ)」
その他、見物人のボボという人形、ギンビラ(投網)、輪飾り、ヒョーチューという三角の飾りを吊します

↓道幅いっぱいに張られる「お七夕」結構な長さです
知らない人が見たらギョッとするかも・・・

 
※画像出典 石ころ立ちのジオ会議-糸魚川ジオパークスタッフのブログ

↓吊り下げられている人形たち


※画像出典 YouTube 宇宙恒星日誌

 

↓8月7日には、飾りを取り外し唄を歌いながら、河原で燃やします
「♪お七夕さーまいの、また来年ごーざいの かいもち(ぼた餅)かんて(担いで) ございの ございの」


※画像出典 根知情報発信ブログ

ヒョーチューの謎
三角の飾りを三つ重ね、両端にさるぼぼを下げた「ヒョーチュー」という飾り
何故ヒョーチューと呼ぶか、何を指しているのか、どういう字かも不明だそうです
「ふとん」のことだという人、星を表しているのではないか、など様々な解釈がなされています


※画像出典 根知情報発信ブログ


※画像出典 mick's bar 松本散歩(松本市立博物館)

妥当な解釈としては、三角はウロコ紋(古来からの文様で厄よけの効力があるとされる)
さるぼぼも厄よけなので、厄よけの意味だと考えられます

布団かも知れませんが、普通は三角には折らない(座布団だって三角にはしない・・・)
しかし、ヨメサン・ムコサンの子孫繁栄のお目出たいシンボルで布団、でないとも言い切れない
さるぼぼの「ボボ」は隠語で地方によっては「Hしちゃうの意」らしいので、やはり子孫繁栄の意味なのか?

星・・・だとしても星は普通、三角では表現しない

しかし、問題は何故それが「ヒョーチュー」なのか
問題はヒョーチューという呼び方にあります

ヒョーチュー、ひょうちゅう、私はこの呼び方に謎を解く鍵があるのではないかと思いました
何か、この土地ならではのモノ、農産物とかあるいは独特の道具をそう呼んでいたのか・・・
糸魚川市は海辺の町なので、海にまつわるものではないでしょうか
しかも、そんなに古くない言葉のような気がします

糸魚川は有数の豪雪地帯なので、冬は氷柱ができるかも知れないが・・・?
新潟の海岸には海里標柱(マイルポスト)というものがあり、その標識が三角形なのでもしかしたらそれを指しているのか?
しかし何故それにさるぼぼを下げる必要があるのか?
さるぼぼは飛騨地方のお守りで、糸魚川とは関連ないように思えるが・・・

調べているうちに船舶用語に「漂躊(ひょうちゅう)」という言葉があるのを見つけました
船の機関を停止し、そのまま漂流させ風や波に逆らわないようにすることを漂躊というのだそうです

漂ちゅう法:船の機関故障時の悪天候対処法
横波を避けるために船首からシーアンカーを投下し、船首を風上に向けながら漂流する(※参考:航海用語辞典)

・・・シーアンカー?・・・だとすると、サルボボだと思われていたものは、
その形、もしかしたら「錨」ではないのか・・・?
北前船も積んでいた、四爪錨(よつめいかり)を表しているのではないだろうか?
近年は布で作るようになって、形が似ているから「さるぼぼ」だと思い込まれてしまったが、
ということは、三角はまさしく「波」ではないのか?

漁や海運が生業の海辺の町なら、漂躊という言葉が使われていても不思議ではない
徐々に高くなる三角の高波に、錨を下ろすシーン
海難を避けられるように、船の無事を祈り安全祈願を込めたのではないか?
ヒョーチューの三角は「海の波」で、両端からさがっているのは船の「イカリ」?
というのが、私のひとつの解釈

 

追記:ヒョーチューの謎

山梨県忍野村に道祖神祭りというのがあります
△に折った座布団のような飾りを下げます
この飾りを「ヒイチ」と呼びます

ヒイチとは火打ち、即ち「火打ち袋」のこと
訛って「ヒイチー」発音したり表記されたりします
ヒイチーが更に訛って「ヒョーチュー」になったのではないでしょうか
この「ヒイチ」が「ヒョーチュー」の元ネタだと思われます

いつどのようにして忍野村から糸魚川へ伝わったのか分かりませんが、
富士詣でをした糸魚川の人が、道祖神祭りを目にしてアイデアを持ち帰ったのかもしれません
「ヒイチ」が訛って「ヒョーチュー」になったに違いありません
忍野村の実物は大きいもので、本当に座布団を折った位のサイズです
三角の底辺には竹の棒が入っており、もみがらを詰めてあります
三角の端には、小さな「ヒイチ」が子持ちで下がっているもののあります
このデザインが、「ヒョーチュー」の端にさるぼぼを下げる、の原型になったと思われます


 

  

  

 

***

↓ヨメサン・ムコサンはややリアルに、初々しいお二人

 

↓見物人を想像で揃えてみました

↓こんなものが下がっていると、見慣れた庭も新鮮に見えます

わら縄はフェイクです(紙紐で編んだ、なんちゃってわら縄)
本物の藁を扱うのはとても難しい・・・縄をなうのはとても無理
市販の藁縄は30mとか、3km・・・そんなに要らないし

参考資料
『七夕の紙衣と人形』 石沢誠司著
『七夕と人形』松本市立博物館編
信清由実子氏「七夕文化」https://blog.goo.ne.jp/shizechemg
日本玩具博物館 尾崎織女氏 https://japan-toy-museum.org

糸魚川世界ジオパークブログ https://geo-itoigawa.com
根知の情報発信ブログ  http://e-nechi.blogspot.com

2021.08.01

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